2008年12月13日土曜日

雪の日に東京三山会発足

>会報56号(平成20年5月)より抜粋

2月9日、雪模様の肌寒い東京(都心でも降雪あり)で、青山にある青学会館の一室は私たちの談笑で快い熱気に包まれていた。山形東高を昭和38年に卒業した三山会で、首都圏在住者を中心に「東京三山会」を立ち上げることとなり、地元・山形のメンバーも駆け付けてくれて、大掛かりな同期会を開いたのである。

参加人数が51人(女性2人)。このうち、15人が遠く山形・宮城県からの出席者だ。卒業してから45年が立つ。年齢も63歳を迎えた。仕事を続けている人もいれば、離れた人もいる。だが、かつての現役バリバリの頃のように、相手が所属する会社や肩書きなどにこだわることは一切なくなった。「本掛還り」である還暦の60歳を過ぎると、元に戻って素直に人と接することができる。卒業式以来、45年ぶりに再会した級友もいて、話が弾み過ぎて、ごちそうの方にはあまり手が伸びない。

同期会は、山東の校歌斉唱から始まった(私は3番冒頭の「あゝわが紅顔未来の光」しか記憶していなかった)。物故者の16人の友人へ黙祷。本家の三山会会長の細谷伸夫君が「現在の山形東の生徒は、男子と女子の数がほぼ半々」と紹介すると、ほとんどが男子生徒だった時代の私たちから思わず「ホー」の声が上がった。三山会は、山形の高橋優之助君手作りの携帯ストラップを記念品として贈呈してくれた。三山会製作の映像「わが母校」を鑑賞し、出席者が近況報告を行った。盛り上がって会合は寒夜の中、二次会、三次会、四次会まで続いた。

東京三山会は、千葉市の髙山眞一君の献身的な努力で実現した。昨秋から活動を開始、首都圏在住者だけでなく東北、北海道、近畿などに住む同期生を含めた詳細な三山会名簿を作成して呼び掛けてくれた。東京三山会の会長に就任するのは当然だ。本当に感謝する。5年後に、卒後50周年の大同期会を地元山形で開催することを約束して、同期生たちは帰路についた。

(高橋 豊 記)


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