2008年12月13日土曜日

伊藤健一郎君を偲んで(三山会)

>会報55号(平成19年10月)より抜粋 

 去る3月12日に、惜しまれつつ亡くなられた同級生の伊藤健一郎君を偲ぶ会が、5月11日に山形市で行われました。健一郎君は、高校時代ハンドボール部合宿で同じ釜の飯を食った思い出多い仲間です。当時のハンドボール部は正式の部ではなく、その時々の馬力のある連中が集まってチームをつくってインターハイや国体の県予選に出場しており、どちらかと言うと柄の悪い連中の集まりでした。(1、2 年の時、彼は山岳部に、小生は剣道部に所属しておりました。)

 彼は右のウィング、小生は左のウィングで大会に参加しましたが、寒河江高校との決勝戦は生憎の雨となり、即席チームでスパイクもなかったわれわれは、滑り止めのために縄を巻いて走りましたが、水を吸った縄は重く、まともに走ることが出来ず、敗れてしまいました。(当時のハンドボールは、屋外でサッカーと同じコートを使用しておりました。)

 大学で選んだスポーツは二人とも日本拳法でした。現役で立教に入学し拳法をやり始めた健一郎君が夏休みに帰ってきたとき、浪人中の私は、関東学生拳法リーグの一部校でレギュラーになれそうなとこはどこかと彼に相談し、翌年青学を選び、入学して迷わず拳法部に入部しました。

 二人とも4年の時には主将として活躍できたのは、忘れることの出来ない思い出ですが、残念ながらお互いに一部と二部に分かれていたために、一度も対戦したことがなかったのが今でも心残りです。

 偲ぶ会は、地元山形の三山会を守り、尽力している高橋優之助君と秋葉正彦君が世話人として開催しました。葬儀に参列した方や香典を送ってくれた方29名に連絡したそうですが、当日の出席は、14名でした。東京三山会からは鈴木勤君と小生の二人です。少ない人数でしたが、皆それぞれに健一郎君に思いを寄せる方たちばかりですので、大いに盛り上がったのはいうまでもありません。彼の遺影に献杯し思い出に話がはずみました。(写真。菅野宏昭君は遅れたため写っておりません。)


 車で行くことの多い山形ですが、今回は仙山線経由でのんびりと行きました。数十年ぶりの仙山線は、懐かしい駅名や景色に田舎を感じましたし、駅のホームから見る山寺は、近くで見るのとは違う良さがありました。また、蕎麦好きの私ですが、山形に着いてすぐと帰る前の二度も、東士会の庄司武彦先輩の店・庄司屋の蕎麦を食べましたし、いつもお酒を取り寄せている山家町の秀鳳酒造に行き、蔵を見学させてもらって利き酒もさせてもらうなど、健一郎君にいただいた思い出の旅となりました。筆者は写真左端。あのころのリーゼントカットがつるつるになりました。  
 (高山眞一記) 


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