>会報47号(平成15年10月)より抜粋
「東濤会」は、第10回(昭和35年)の卒業です。振り返れば早や43年を過ぎて、当初325名だった会員が残念ながら295名(物故者30名〉となりました。会長は佐藤章夫君(山形)です。
一方「東京東濤会」は、主に首都圏に勤務ないしは居住している東濤会会員の集まりですが、きっかけは、昭和51年に山口鐵太郎君ほか有志の方々の呼びかけで湯島の「満川」に集まった17名の会合でした。以来、それぞれの仲間同士で集まっていた会員が「東濤会関東支部」の名のもとに次第に集まるようになり、今では「東京東濤会」と改称し、会員数は120名余になっております。
そのような経緯からも明らかなように、「東濤会」が同窓会傘下の正式な団体であるのに対し「東京東濤会」は全く任意の会であり、会則もありません。
会の運営の基本となる「名簿の作成と消息」は、当初丸子勝基君が事務局を担当し、高木宗次郎君、さらに異動を機に奥田健造君へと引き継がれております。
会の行事としては、毎年12月第1土曜日・午後4時からの忘年会、10月初旬の芋煮会(野田市清水公園、参加50名位。今年は10月4日、会員の家族・同窓生有志・友人知人・お世話になっている居酒屋の方々などに案内)、暑気払いの会など、とかく飲み会に力点が置かれがちです。
もっとアカデミックな会も開こうと、丸子勝基君や鹿野道彦君の提案から「東京東濤会セミナー」を時々開催することとなり、回数も26回ほどになりました。(もっとも、セミナーの後は必ず懇親会になります。)講師は各方面に展開している会員の中から、順次「内部調達」(謝礼は勿論なし)をしておりましたが、時には母校の恩師を講師にお招きしたり、各界でご活躍の先輩後輩の方々にお願いするなど、次第に環を広げてまいりました。母校の卒業生は本当に人材豊富であると思います。
また、全体行事のほかに、囲碁の会・山歩きの会など、有志による様々な集まりも時々企画されてきましたが、還暦も過ぎて新しい人生のステージに移行する会員も増えてくることを考えると、長年の活動を通して出来てきたこのような利害のない交流の基盤が、これからますます役立っていくのではないかと期待しております。
いずれにせよ、このように続けてこられたのも、東京東濤会会員相互の会を守り立てようという気配り、会員それぞれの参加意識と連帯感のお陰とつくづく感謝している次第です。
(畠山千蔭記)
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