2008年12月13日土曜日

 にぎやかな東京ふたば会(山中62回・一高2回)

>会報47号(平成15年10月)より抜粋 

最初に「ふたぱ会」を紹介しておきたい。ふたば会は昭和19年に入学した同期生で、現在の山中・東高同窓会会長の橋本栄一君も仲間である。

われわれ同期生は戦後の学制改革に直面し、山中から新制の一高(現在の東高)まで6年間在籍した人が多いのだが、旧制の山中のまま5年で卒業したり、4年から旧制の山形高等学校に中途進学した、いわゆる山中しか在籍しなかった人もいることから、ふたば会という名前になった。このひらがなの会名は東高同窓会では非常に珍しい。

山中に入学したものの、翌年夏の終戦までは勤労動員で、田植え、稲刈り、開墾と、勉強そっちのけで苦労し、戦後は食べ盛りなのに食糧難でひもじい思いをした。こうした苦難・困難を共にしたせいか、ふたば会はまとまりが良いといわれている。


われわれは修学旅行を経験していない。戦後のどさくさで修学旅行どころではなかったのである。そこで昭和60年、箱根に渡里義廣先生を訪ねる旅の会が契機となって、国内は京都、金沢、鬼怒川、花巻など総会を兼ねて、海外はタイ、アメリカなどへ"修学旅行"を行っている。今秋は立山黒部アルペンルートを抜ける旅が計画されている。こうした旅行の際は現地に滞在している同期生佐藤喜一君や田村實君、塩野操君らの家族ぐるみの協力があって、大変楽しい旅行になっている。

ふたぱ会で特筆すべきことは、昭和62年の"青春プロムナード"と昨年の古稀を記念した"プロムナードⅡ"の二冊を出版したことである。62年のときはそれぞれが当時の思い出や、とっておきのエピソードなど、昨年は古希ということで思い出のほか、生活の現況、趣味の成果など自由に書き記したものを出版した。最初のプロムナードにはご高齢にもかかわらず、渡里先生をはじめたくさんの恩師の方々からも寄稿いただいており、昨年のプロムナードにも軽部晋四郎先生からお祝いの言葉をいただいた。こういうことができたのも橋本君をはじめとして布施定男君ら山形在住の編集委員の献身的な努力のおかげである。

また、山形と東京ふたば会の一流の(?)ゴルファーが集まって年に一度コンペをやっている。
いつもは塩野君のお世話で宇都宮近辺でやるのだが、今年は6月に佐藤孝男君のお世話で齊藤俊平君の造った山形ゴルフ倶楽部でプレイした。スコアはともかくとして、その夜は孝男君がわざわざ採ってきてくれた山菜に舌つづみを打ち、石川浩道君が家族ぐるみでお付き合いのきれいどころ3人も入れて大いに盛り上がった。

さて、東京ふたば会であるが、東京近辺に住んでいる約90人が"東京ふたば会"として、年に一度は会合をもつことにしている。今年の東京ふたば会総会は5月に新宿で開催したが、既に33回を数える。出席者は以前ほどではないが、それでも20名ほどが顔を合わせる。欠席の人も40人近くが近況を書きしるしてくるので、仲間の消息を知り得る貴重な情報となっている。出席者の中には、関西からいつも駆けつけてくれる田村實君や、今回は秋の旅行に備えて富山からわざわざ上京してくれた佐藤喜一君も加わり、いっそうにぎやかな会合になった。

会合では物故者に対する黙祷、校歌斉唱、挨拶、乾杯、懇親と続き、応援歌でお開きになるのだが、今回は会場の都合で校歌、応援歌の斉唱ができなかったのは残念であった。

懇親に入ると、あたかも10年ぶりに会ったかのような賑やかさで、よく聞いてみると健康の話、同期生の消息、ゴルフの腕自慢、旅行の話などなど話題はとどまることがない。学生時代の思い出ぱなしは先生に叱られた話ばかりで大笑いになるのだが、なぜか褒められた話は話題にならない。褒められることが稀有だったのかもしれない。アルコールが入ると、なお一層ボルテージが上がり、昼だというのにその飲みっぷりは若い頃と変わらない。会費のことなど念頭にないようだ。

こうして時間も会費もオーバーした”めちゃ楽しい”ふたば会の会合はお開きになるのだが、歳のせいで年に・人二人と言ト報を聞くようになった。それだからこそ、こうした同期生の会合は一層価値があるのかもしれない。

ちなみに、東京ふたぱ会の幹事長役は、山中・東高東京同窓会50周年記念式で功労者表彰を受けた栗林恒雄君で、その面倒見の良さは余人をもって変えがたいほどである。

追 記
この原稿を事務局に送るべく準備をしていたところ、栗林君が急逝されたとの報に接しました。ここに哀悼の意を表するとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
(小笠原文男 記) 

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