>会報55号(平成19年10月)より抜粋
松竹と雪山を友とせるものを友とす
高校を卒業して早くも50余年になる。卒業後夫々違う大学に行き、社会人になってから早々に、誰ともなく集まろうということになり、時々一緒にお酒を飲みながら夫々の業界のことや、仕事の苦労などを話し合った。それが今日まで続いている。中には小学校(国民学校)から新制中学、新制高校まで同期という者もいるが、我々の気持ちにはなんともいえぬ親密感があり、一人ひとりが人生の宝物ともいえる関係になっている。この小さな集まりは、多少変動があるが、10人前後で3ヶ月に1回程度開催し、「雲山会」という名前がつけられている。誰でも同期であれば参加できるオープンな会になっているが、何回か集まったときに、何か会の名前をつけようということになり、酔古堂剣掃にある次の言葉から命名した。即ち、「古の君子は、友なければすなはち松竹を友とし、居るに友なければすなはち雲山を友とす。余は、友なければすなはち、古の松竹を友とし、雲山を友とする者を友とす。」
皆なで作り上げる親密感という宝物
今年の5月9日に、屋形船を10人で借り切り、隅田川の舟遊びを楽しんだ。このような同期会の集まりは、当然若い人々も同じように持っていると思っていたが、最近の若い人たちは、学校を卒業してから同期で集まることはないという。全く勿体ないことだと思う。色々な理由はあるのだろうが、同期の仲間の親密感という宝物は、皆で長い年月を経て作り上げるものだけに、夫々が意識して集まることがよいのではないかと思う。仕事が忙しいということもあるだろうが、何とか時間をやりくりしてでも集まる価値は大きいと思う。要は長く続くように多少の困難は乗り切ることが大切だと考える。
先日仕事の関係で知り合った80歳を過ぎた方と食事をともにしたが、この同期会のことが話題になったとき、その方も同期会の集まりはあまり活発ではないと話されていた。その方は、戦争などの混乱した時代を過ごしたこともあり、うべなるかなと思った。全体の同期会は、毎年幹事が決められ、山形と東京で夫々開催される。今年も10月に開催するとの知らせが届いている。我々の同期会は、きわめて恵まれたものであることに感謝し、仲間の元気な顔を思い浮かべながら、都合をつけて出席したいと楽しみにしている。
(横倉正義 記)
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