2008年12月13日土曜日

喜寿を迎える東京銀河会「梅香のつどい」 (銀河会)

     >会報48号(平成16年6月)より抜粋 
-奥湯河原・海石榴(つばき)にて-

今年10月に山形で行われる喜寿祝賀表彰式に、私たち銀河会員の心は期待感に満ち、東京でもこの表彰式を成功させるために折を見ては集まりをもちました。

たとえば、昨年7月7日には銀座7丁目「ライオンビヤホール」で東京銀河会`あさがおの会'
がありました。東京銀河会会長会田正さんの企画、命名によるものでしたが、山形から銀河会幹事の方々も参加されて、お土産に持参いただいた桜桃と漬物のご相伴にあずかって、ビヤホールの従業員が大喜びをしていたとの思わぬ一幕もあったりしながら、楽しく飲み語らい、喜寿祝賀会には揃って出席することを約束したのでした。

そして、この春の`梅香のつどい'です。あさがおの会の名を追っての命名で、企画は会田会長と中川顕助さんとによるものでした。

会長からの誘いの文章には、「喜寿まで生きたのだから一生に一度の贅沢をしてもらいたく、会場は高級割烹旅館を選んだので、共に心おきなく語り明かしたい」とあって、文末に余分の経費は会長の負担にさせてほしいとさりげなく書いてあるのでした。

私たち銀河会会員の山中時代の生活は、太平洋戦争のまっただなかで終始しました。在学中に学制が変わったり、軍関係の学校からの復学があったりで、卒業年度が異なってしまった人達もでてきました。同窓会名簿上での幾人かは同一人が2度も3度も卒業したことになっている例も生じ、そのような不都合を正すべく普通ならば、卒業年度で呼ばれるところを、入学年度を基準として入学が昭和16年の者が銀河会員であるとあらためて確認することにもなったのでした。

戦後のこのような複雑な事情もありながら、銀河会の活動はある時期を経て、年毎にまとまりを固くしてきているのは、山形や仙台の幹事と東京銀河会会長と変わらぬ努力と熱意があったからでした。お蔭で、喜寿表彰式に向かっての打合せなども円滑に持たれるようにもなっているのです。

しかし、それにしても`梅香のつどい'を海石榴で開こうとの誘いにはびっくりしてしまいました。海石榴という旅館を私は知りませんでしたが、聞けば、東京・大阪のそれも有名人が泊まる超一流の旅館だというではありませんか。

参加人員は、山形・仙台・東京から合計16名。期日は'04年2月23日(月)~24日。22日の夜から23日の未明にかけて嵐のような天候で、山形も同様だったそうですが、23日の夜明けはどちらも雲ひとつない日本晴れの空になっていました。

海石榴の建物は深い木立に囲まれて道路からは見えません。豪華というのとは違って、純和風の気品ある邸宅のような造りです。部屋は迎賓館と名づけられ私たちの借り切り、そのうえ各部屋とも、それぞれ貴賓室になっているのにもおどろくばかりでした。

入浴や休息を取って、懇談の会との予定でしたが、到着してロビーに入るや否や先に着いている同窓生につかまって、あいさつの交換や質問攻めなど、最近会った者も永く会わなかった者も、まるで中学時代の科目試験が終わったときのような活気ある明るい雰囲気でした。一生懸命に語り合っている間を、さりげなくお茶とおしぼりをすすめにくる女性スタッフたちの接遇のよさに、一層心和んでいたのかもしれませんが。 


どうやら入浴も済まして、4時40分から5時50分を講座的談話の時間として会長の挨拶と各人の話になったのですが、さすが75年の人生を生き抜いてきただけあって味わい深い話が続きました。生きる社会は異なっても、生きる努力や誠実さが聞く人の心に響いてくるのは、貴重な青春時代を共に過ごしてきたことから生まれた信頼や理解を持合っている者同士だったからに違いありません。

話は堅苦しいものではありませんでしたし、その場の空気も窮屈なものではありませんでしたが、「教室でもこんなにまじめに聴いたことはなかったな」と感想が漏れたほど充実した時間でした。

一夕の宴会ではもちろんのこと、宿泊のときでさえ、食事や宴会の前にこのような実のあるときを過ごしたことは今まで一度もありませんでしたので感銘もひとしおのものがありました。

宴会は部屋を変えて6時から8時半までで、それでも感興は尽きませんでした、,物故者へ黙祷を捧げ、山中の校歌、応援歌を合唱のあと、民謡も出たのは、望郷の想いや愛郷の心が自然に湧き出たのだったでしょうか。

希望する人、飲み足りない人、疲れを知らぬ人などの二次会は12時まで続いていました。朝の食事を済まして9時解散となりましたが、用事を控えてすぐに帰宅した人も、湯河原梅林を見たり、十国峠から富士山を眺めたり、熱海梅園を訪ねたりしてから帰るというグループもありましたが、海石榴で過ごした時間に名残を惜しむ様子はみんなに感じられました。「会長、今度は卒寿の祝賀をやってよ」といって玄関を去る友人もいました。

喜寿といっても特別の意義を認めない人もいるかも知れませんが、古い友達同士は互いに勇気を与え合うもののようです。

`梅香のつどい'は10月に向けて私たちの結びつきを強めてくれたばかりでなく、77歳を越えた将来の人生にさえも、中学時代に抱いていた熱い希望とは違った、穏やかな希望を醸し出してくれる機会を与えてくれたのでした。
(安斎 登 記)

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