2008年12月13日土曜日

山中六一会東京部会の動向について (六一会)

>会報43号(平成13年9月)より抜粋 

東京を中心とした周辺各県に居住している同期生は、名簿上現在57名いる。
昭和57年以来年2回(6月と12月)定例会を休むことなく今日まで開催してきている。57~59年頃は毎月第3木曜口に有志による会合を開いたり、又年1回の一泊旅行などを4~5年続けたことがあった。

年2回の定例会には山形から出席者もおり代表として幹車長の志村君が毎回出席してくれており、山形における経過報告などを得て旧交を暖めている。

山形を離れて当地に居を構えて4~50年ぐらいにはなるだろうか、この間幽明境を異にした同期生は、17名を数える。ご冥福を祈る次第である。

いまや古稀を過ぎてもお元気で現役で働いている人も多数存在している。同期会に出席しているメンバーは殆ど常連である。毎回案内状を送っても返事のない人やあっても出席しない人が最近増えている。

同期生の集りがスムーズに年2回できるようになったのは、齢50歳を過ぎてからが本音である。,小生自身40歳台では案内を貰っても、現役でサラリーマンとして仕事中心に働いていた者にとっては、全く無関心と云うか出席できなかった。時間的余裕がなかったことは事実である。徐々に加齢することにより旧友と会って若い頃の話をして見たいと云うことが出席のいとぐちであった。

わが東京六一会の同期生が長期に亘り集りが良いのは、山中で学んでいた頃に遠因があったのではないかと思っている。

在学中は戦時色濃厚で、学徒勤労動員と称し、授業の代りに農家の手伝い、山野の開墾の出動、神町飛行場建設の応援のため東根温泉の旅館に数ヵ月間起居を共にしたり、一緒に苦楽を分ち合ったことが懐かしく思い出されている。これらの共通の経験があったことが貴重な絆となっていると思っている。

昨年11月、松田尭君が勲二等瑞宝賞の叙勲の栄に浴したことは、まことにおめでたいことであった。同期の中からささやかながらお祝いの会を持ちたいと誘うたが固辞されて今日に至っている。今年6月の定例会において真似事をすることで本人の了解を得たところである。

本年2月の山形県知事選挙において高橋和雄君が目出度く三選を果した。二期8年間の実績を評価されたものと喜んでいる。高橋知事誕生のため我々同期生が中心となって物心両面からの応援と団結の賜物と感謝している。

21世紀の門出に当たり、これからも我々は、お互いに健康に留意しながら、各人の責任においてまだまだやるべきものが多いものと確信している。


(鏡 敏麿 5月記) 

0 件のコメント:

コメントを投稿